旅行好きな方が旅好きになったきっかけは?

旅行が好きな方、そうでない方それぞれいるかと思いますが、旅行好きな方が旅好きになった経緯はなんでしょう? 国内旅行・海外旅行で違うかもしれません。私は専ら国内専です、二度ばかし海外に行きました(台湾、ドイツ)が、やっぱり国内のほうが落ち着きます。自分は感動とか興奮よりも、平穏を求めているのかもしれませんね。
その中でふと思ったのが、「なぜ旅行好きになったのか」ということです。
そこで今回は、「自分が旅行好きになった理由」を深堀り――その中でも小中学生の頃にフォーカスしていこうとおもいます。
これまで頻繁に旅行してきたのか?
実家を出て、働きだすまでの間、旅行をした覚えと言うものがあまりありません。ないわけではありません。……もう30年以上前のことなのに、名前はすらすらと出てくるものです。
金鉱山の跡地にあった「ゴールドパーク串木野」
(ここは閉鎖してしまって、現在はお酒の貯蔵地になっています)
……大体は、地元の山の上にある「城山公園」ばかりでしたが。
地元が鹿児島なので、近場と言えば近場なのですが、それは置いておいて。だからなのかは分かりませんが、どれも日帰りだった記憶があります。
その頃は、父方の祖父母と同じ敷地内(建屋は別)に暮らしていました。父の兄弟は鹿児島から離れていましたから、心配して日帰りに留めていたのかもしれません。今も昔も、そのことについて悲しいとか残念とか思ったことはありませんが、そのころから「旅=特別なもの」ということは理解していたのではないかなと思います。だからこそ、当時の私にとって旅は一層特別なものとして心に刻まれたのかもしれません。
小学生時代
覚えている範囲で、初めて電車に乗ったのは、小学生の生活の時間だった気がします。私の地元の最寄り駅である「国分駅」から電車に乗るというものでした。国分駅から鹿児島市方面に向かう過程にある、「隼人」「加治木」「錦江」「帖佐」のどれかの駅に降りて、指定された場所に行き、クラス内で感想等を発表するものだったかと思います。
自分は確か「一番遠いから」と言う理由で、帖佐駅を選んだ記憶があります。その駅の目的地は教会でした(小学校自体はよくある公立の小学校)。
あの、レールの継ぎ目に反応するかのように小気味よく揺れる車体と、車窓の外に流れていく、錦江湾に浮かぶ桜島という鹿児島の原風景。車の車窓からでも見られる景色のはずなのに、電車に乗っているだけで特別感がまるで違いました。
思えばその時から「遠くに出かけることの楽しみ」は身についていたのかもしれません。
中学生時代
中学生にもなると、行動範囲が一気に広がります。が、当然手持ちはない訳なので、頻繁にどこそこへ行くのは至難の業。電車に乗って別の街に行くのも一苦労なわけです。
その時は、妹の誕生日プレゼントを買うという名目で、いくらかのお金をもらった覚えがあります。私の住んでいた町はそこそこ大きく、そこでプレゼントを買うこともできましたし、ちょっと足を延ばして鹿児島市内に行けば間違いなく買えるわけです。
ただ、そのころからと言うか、今でもそうなんですが、普通そんなことしないだろうということをしてしまいがち。
鹿児島とは反対の、宮崎県の都城まで行く愚行を犯すわけですね。
国分から鹿児島へ行くよりも、都城へ行くほうが料金としては高くつくわけです。片道300円位違うはずです。なので、そのころの私は考えたんでしょうね。
自転車でいくつか駅を飛ばせば、節約にもなるんじゃないかと。
そこで選んだのが北永野田駅という、日豊本線で一番標高が高い駅です。当然山の中にあります。
因みに国分駅から北永野田駅までは以下の通り。車でも山の中を20分近く走った先にあります。自転車があるとはいえ、3時間近く山の中をひいひい言いながら進んだ記憶があります。道中えらい雨にも降られたなぁ。なんでそんなことしたんだが。
これが直接、今の旅好きにリンクしているかは定かではありませんが、あの時の「愚行」こそが「一人でどこかへ行く楽しみ」を自分の中で確立してくれた出来事だったのかもしれません。
その後、高専の時分に寮から自転車で、民放ラジオの生放送を見るために、鹿児島市内へ行ったり、大学生のころに住んでいた久留米市から折りたたみ自転車で福岡市天神まで行ったりしましたが、それはまた別の話。
むすび
いかがでしたでしょうか。もう四半世紀以上も前のことなので、覚えているかなと思っていましたが、案外覚えているものですね。皆さんの旅好きになった経緯、コメントやはてブで教えていただけると幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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