何もしない越後湯沢旅の、いよいよ最終日となる三日目。
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何もしない旅もとうとう最終日 思いを巡らせるべく朝風呂へ
朝湯に浸かりながら、今日の予定を思案する。
今回は「何もしない」を目標に旅をしてきた。が、流石に最終日は「何もしない」を貫き通す事はできない。
- 朝10時までにチェックアウトをしなければならない。
- 帰りの新幹線は17時41分。どこかにビューンを使ってここまで来たため、時間変更はできない。どうしても帰るためには、自腹を切るしかない。
残念ではあるが、今日は「何もしない」を手放さなくてはいけないのだ。
「何かをする」を強いられているといっても過言ではない。
一体何をすればいいのか……思案しながら、風呂を出た。
朝食は前日と変わらないので割愛。
最終日の幕開け 世界最大級のあれが大混雑
前日と同様、外は快晴だった。結局、天気が良くなかったのは越後湯沢に到着したときのみであり、その日の夜からは「いい天気」の一言に尽きた。
昨日、ぽんしゅ館へ繰り出したときよりも、早い時間に外に出たためか、駅前の通りには、前日よりも多く人影を認められた。
ご存じの方も多いだろうが、越後湯沢はスキーの街である。今の季節はそれでこそ、人の往来はそれほどだが、ことスキーシーズンになると、それはもう、右も左も人・人・人になるのではなかろうか。それほどに、街中にはスキー用品のレンタル屋や、スキー教室の店が軒を連ねている。無論今の時期は、ひっそりと静まり返っている。
燦々と照る太陽の元、ホテルから10分ほど歩いたろうか、最初の目的地に着いた。
湯沢高原ロープウェーである。昨日のうちにチケットは購入済みで、入場も実にスムーズに済んだ。受付と、ロープウェーの入場口は若干離れており、階段でそちらへ上がる。
入場10分ほど前についたが、思いのほか人が多い。オンかオフかと言ったらオフシーズンなのだろうが、それでも多い。世界最大級の定員160名超を誇る巨大なゴンドラが、開始早々、8割方埋まったのは、苦笑せずにはいられなかった。
出発のベルとともに、ゆっくりと動き出す。乗り場から完全に離れると、スピードは徐々に上がってくる。それとともに、車内に歓声が上がり始めた。
町並みが次第に小さくなっていくのと呼応するかのように、周囲にそびえる山々が徐々にその雄大な姿を見せつけてくる。私も思わず嘆息せずにはいられないほどだ。
10分もせずに、ロープウェーは終着の「湯沢高原パノラマステーション」に到着した。駅前にはシャトルバスが待ち受けており、乗り込むかどうかを話し合っている壮年団体客の脇を抜けて、バスの車内に腰を落ち着けた。頼むから乗車口で固まらないでくれ。
歩くにはまあまあの斜面を、バスはゆっくりと登っていく。折角来たのだから歩いてもいいのかもしれないが、個人的には使えるものは使いたい心情なのだ。体力は温存するに限る。
5分ほどで最初の停留所につき、他の乗客と一緒にバスを降りた。地上よりも高いところにいるのだから当然日差しは厳しいが、嫌な暑さではない。その足でリフト乗り場に向かう。更に登るのではない、降りるのだ。折角バスを使ったというのに。
ゴンドラに乗るよりも、リフトに乗るのが好きだ。風を感じられるのが特に好きだ。
あの、小さい椅子のような乗り物に、一人で乗る特別感も好きだが、それ以上に、大きく息を吸うと、緑の若々しい、生気に満ちた香りが、鼻腔にそして肺に充満していく、あの感じがたまらなく好きなのだ。
日頃、都会で生気をただ消費するのみだが、自然の中に足を踏み入れると、消費しきっていた生気が、体の中に満ち足りてきて、己が自然に生かされていることを知ることができる。
リフトの終点には5,6分ほどで着いた。そばには「高山植物園 アルプの里」と彫られた立看板のようなものが立っている。アルプの里の解説文を、下記に記そう。
アルプの⾥は1980年にオープンした、当初17万5,400平⽅メートルの敷地をもった地域最⼤級の⾼⼭植物園です。
⾼⼭のガレ場から⽔域、樹林帯の地形を再現し、様々な植物をご覧いただけます。
⼊り⼝には「あやめヶ池」、⼭々の雄⼤な景⾊が⽔⾯にうつるその美しさを眺めながら、池沿いのボードウォークを歩いて進むと涼やかな樹林帯へ移り変わり、道中⽊漏れ⽇を感じながらさらに最奥に進めば、⾕川連峰の岩塊を運んで⾼⼭地形を再現した⾼⼭植物の宝庫ロックガーデンが姿を表します。
ロックガーデンは上越新幹線、⼤清⽔トンネル削岩時の岩⽯で造成され、標⾼2,500m級の⾼⼭の⾃然を再現しています。
湯沢⾼原では希少な⾼⼭植物から⼭野の草花まで合わせて約200種類をグリーンシーズンを通してご覧いただけます。
池沿いのボードウォークを歩いていると、登山していた時のことを思い出した。一度踏まれてしまうと、復旧するのに莫大な時間がかかる。我々が触れ合っている自然は、悠久の時間と、人々の手間によって存在していることを思い知らされた。
しばらく歩いていると、後ろの方から少年が「ギンヤンマだ!! ギンヤンマ!!」と、歓声にも似た歓呼の声を挙げた。もともと昆虫が好きなのか、はたまた、目にしたことない未知の生物が目の前にいることの興奮か。どちらにせよ、何かに熱中できるというのは、歳とともに見失いがちではないか。今の自分はどうだ? 手放しで何かに熱中できているだろうか? 彼は過去の自分自身ではないかと、少し感傷に浸ってしまった。
道なりに歩いていくと、やがて開けた場所に出てきた。吹き出す汗を拭いながら歩く。
不快な暑さではないにしろ、暑いものは暑い。標高が高くなったのだから、暑くないわけがない。加えて、日焼け対策をしてこなかったのがまずかった。ジリジリと肌を焦がすような感覚に襲われる。次第に、ここから退散したい気持ちが強くなってきた。
こういうときは、これ以上長居しない方がいい。心身ともにできるだけ健康な状態で、最後まで走り抜けたい。私は、逃げるように駅に向かい、高原を後にした。
自分の記事としては少々長くなってしまったので、何分割かいたします。
もう少々お付き合いください。